ということで、地獄少女の1期です。
観終わりました。
やはり、これ、観なおして正解でした。
1期において柴田親子が登場、地獄少女に関わっていきます。
柴田父の方はフリーのジャーナリスト。
地獄少女が誰彼なく依頼によって地獄に流していくのを見て、
「相手を地獄に流しても何の解決にもならない」と必死で邪魔をします。たいていうまくいかず、皆、糸を引いてしまうのですが。
娘のつぐみは、地獄少女に依頼した人がビジョンとして見える少女で、ゆえに柴田親子はその地獄に流される対象者のところ=現場にかけつけることができます。
娘の方は、父親と違って
「悪い人を地獄に流すのだから地獄少女は悪くない」と思っていたわけですが。
柴田父は、かつて浮気をした妻を許せず離婚したのですが、その元妻が許しを乞うてきた時に、冷たく「許せるはずがないだろう」と断り。
しかし、その直後、元妻が事故死してしまったことに悔恨の念を抱いていました。
娘・つぐみは23話にて、何にも悪いところがないのに逆恨みで地獄に流される人を見てショックを受け。
何が正しいのか正しくないのか、もうわからなくなる。
柴田父は、地獄少女に関わることでつぐみが苦しむのを断ち切りたく、もう地獄少女と関わるのをやめようとするのですが、地獄少女からつぐみへのビジョンは止まらない。
そして二人は地獄少女の過去を知ることになります。
かつて「七つ送り」という風習があり、そのため7歳のあいが人身御供にされた。
のだけども、あいの両親があいの幼馴染でいとこの仙太郎に頼み、あいを密かに匿うことになった。
6年後、それが村人に見つかり、怒った村人たちにあいと両親が生き埋めにされ。
仙太郎も已む無くあいたちに土をかけたのだった。
たまらずその場を仙太郎は逃げ出し村を出ることにしたが、火の海になっている村とあいを見てそのまま村を離れる。
後に黒飴屋(柴田屋)として成功し、あいへのせめてもの償いにと、あいと彼女以前にも埋められた少女達の菩提を弔うため七童寺を建立した。
そして、
柴田父はその仙太郎の血縁にあたる人だった(つまり、あいとも遠縁にあたる)一方、村人と仙太郎に生き埋めにされたあいは、仙太郎の裏切りにショックを受け、恨みをこめて夜中に土中から蘇り、村を焼き滅ぼしたのだった。
この時の大罪により、あいは
罰として地獄少女として働くことを課せられることになる。
柴田が仙太郎の血縁者と知ったあいは逆上。
「わたしをまた殺しにきたの?!」地獄少女(あい)自身が、感情にまかせて相手を攻撃しては、あい自身が地獄に流される。
輪入道たちがあわててあいを止めようとするのだけども、あいは止まらない。
あいは、地獄送りの舟に上にいた。
あいを監視している人面蜘蛛(あいより高位の存在と思われる)に
「地獄送り」を言い渡されるが、
「だめ、まだ終わってない」と逆らい、現世に戻ってくる。
人面蜘蛛、意外と弱いぞ?(^▽^) ハッハッハ復讐に取り付かれたあいは、つぐみに母の死の真相を見せる。
父が母を冷たくなじったこと、「消えろ!」と母を怒鳴ったこと。
その直後に起きた母の交通事故、そして死。
「違う、オレの、オレのせいじゃない・・・」とつぶやいた父。
そしてあいはつぐみをそそのかす。
お父さんが許していれば、お母さんは死なずに済んだのにね、と。
わたしが地獄へ流してあげる、楽にしてあげると。
そしてわら人形をつぐみに渡す。
一方、柴田父は、三藁(輪入道、一目連、骨女)から、あいが
400年間「罰として」地獄少女をやってきたと聞かされる。
逃げたくても逃げられない、人の恨みが消えない限り。
つぐみがわら人形の糸を引こうとした瞬間、柴田と三藁たちが駆け込む。
そして、再び、つぐみの母が亡くなった交通事故のシーン。
しかし、そこで柴田の口から出た言葉は。
「違う、オレが、オレが死ねばよかったんだ・・・つぐみ、ごめん、オレのせいだ、許してくれ」「
あゆみ、愛してた、お前の笑顔が大好きだった。だから頑張って働いて。でもそのせいでお前がさみしい思いをして、優しさがほしくて間違いを・・それをオレは許してやれなかった。それどころかいっそ死んじまえばいいって。。まさかそれが本当になるなんて。。。」
柴田の悔恨の思いをきいて、あいは仙太郎に生き埋めにされたこと、仙太郎が逃げていったことを思い出す。
仙太郎だってこの柴田のような悔恨の思いをもっていなかったのかと。
しかし、つぐみに糸をひくようにいう。
でも、つぐみは糸を引かなかった。
父への憎しみの思いは消えてしまっていたのだった。
「お父さんはわたしといて楽しくなかったの?!」
「楽しかった・・・・」
あいは、仙太郎との日々を思い出し。
そして、仙太郎の思いや後悔の気持ちを認め、
仙太郎が建てたお寺を燃やす。これが1期のラストです。
あいがお寺を燃やしたのは、寺を建てた
仙太郎の「すまない」という気持ちはもう届いたから、もうそんな思いは持たなくていいから、わたしはあなたを許したから、ということだと思う。
あいの、地獄送りの宣告をぶっちぎるほどの憎しみの感情は、仙太郎の血縁者の柴田を地獄に流すことではなく、仙太郎の思いを知ることで消えてしまった。
つまり。
人の「憎しみ」を消すのは、憎しみの対象を地獄に流すことではなく。その相手が本当に悔い改めること、その思いが伝わることで消えるのだな、と。
相手を自ら裁くことではなく、また誰かに裁いてもらうことでもなく、その相手が心からすまないと思ってることを知ることで。
ああ、これはなんか理解できる。
以前、
デュラララ!で記事を書いたけれども、
なんだろ、「謝る」ことがもつ力というか。
全てを浄化する力があるんじゃないかと。と書いているのですけど。
沙樹と正臣というカップルにおける溝は。
結局、互いが自分の非を、非というより、未熟さだよね。
それを自ら認めてそれを相手に謝ることで、互いに許しあうことができた。
人の心に憎しみのある限り、地獄少女は存在し続ける。
そしてその恨みを地獄に流し続けるのだけれども。
柴田父のいうとおり、それでは何も解決しない。
元より、地獄少女はそれで「解決しよう」なんて思っていないし「解決できる」と思ってやってもいない。
むしろ、相手をどうこうしたところで、それでは解決しないのだ、ということを(あい自身含めて)思い知るためにやっているといった方がいいんじゃないかと。
この点は、3期にゆずきという少女が、地獄少女になった時に「わたしがこの世を清める」といったことと実に対照的。
一目連と骨女は、その言葉をきいてゆずきの使いとなるのをボイコットしたのだけども。
「地獄少女」は別に世の中を清めるためにいるんじゃない。
そんな力もない。
清めることができるとすれば、それは己自身。
人の心の憎しみから生まれた苦しみの脱出口は、人の心にあって。相手をどうこうしようとするのとは真逆で。自らの心に、謝る、悔恨、反省、そういった未熟さを認める気持ちとそれを他に謝る心が生じること。この方法だけが、
地獄少女がお役ごめんになる方法なんだろうなと。
それが2期のラストなんじゃないかと思うわけです。
いい作品でした、本当に。
この後に続く2.3もいい作品です。